薬食同次元
「牧野富太郎博士」その2
能登半島地震発生から1ヶ月が経ちました。TVで映し出される災害の凄まじさに「復興」という言葉を安易に使うことすらためらわれますが、行方不明者の捜索や被災された方々が日常を取り戻せますように、一日も早く復興されますようにと心から願っています。
さて、昨年の春に「牧野富太郎博士」について記述しましたが、今回もう一度、植物の好きに生涯を捧げた「牧野富太郎博士」のことを記述したいと思います。
「私は・・・あるいは草木の精かも知れんと自分で自分を疑います。」とありますように、子供の頃から植物に親しみ、生涯を植物学一筋に突き進まれたのが、牧野富太郎博士です。
〇草木を好きになった動機というものは実のところそこに何もありません。つまり生まれながらに好きであったのです。
〇植物が好きなために花を見ることが何より楽しみであってあくことを知らず、天性好きな植物の研究をするのが唯一の楽しみであり、またそれが生涯の目的でもあります。
〇植物が好きであったので山野での運動が足り、かつ何時も心が楽しかったため、したがって体が次第に健康を増し、丈夫になったのです。疑いもなく私一生涯の幸福です。
〇もしも植物がなかったら私はどれほど淋しいことか、又どれほど失望するかと思います。植物は春夏秋冬わが周辺にあってこれに取り巻かれているからいくら研究しても後から後からと新事実が発見せられ、こんな愉快なことはないのです。
〇私は日夕天然の教場で学んだのです。それゆえ絶えず山野に出て実地に植物を採集しかつ観察しましたが、これが今日の私の知識の集積なんです。
と語られています。
また、例えばスミレ、彼岸桜について、
〇スミレという名を聞けば何とはなしにいい名で慕わしく感ずるのであるから、スミレなる名の起こりに対し盲目であるのがむしろ賢いではあるまいかと思われる。語源を知ればどうもかれの美名が傷つけられるような気がしてならないからである。スミレはかの大工が使う墨斗れ(すみいれ)の形から得た名で、スミレの花の姿がその墨斗れに似ているからからだというのである。すなわちそのスミレのイが自然に略されてスミレとなったわけだ。(中略)我が日本はスミレの種類の多いことじつに世界一で、つまりスミレでは日本は世界の一等国である。これらはみなViolaというスミレ属に属するもので、このViolaは俗にいえばVioletである。Violaはもとスミレのギリシャ語ionに基づき、それに小さい意味を持たせたラテン語字体である。そしてこれらのスミレ属などが合い集まっていわゆるスミレ科すなわちViolaceaeを構成している。
〇彼岸桜、世人は彼岸桜と言えば一つのように思いますが、関東と関西で異なっております。関東のは東京の上野公園にあるような大木であって早く花が咲くので彼岸桜といっております。信州の神代桜、盛岡の石割桜などは東京の彼岸桜と同じものであります。しかしこれらは本当の彼岸桜ではありません。これらを本当の彼岸桜と区別するために江戸彼岸あるいは東彼岸と呼んでおります。本当の彼岸桜は気が小さくて大木になりません。そしてやはり花が早く咲きます。花ははでやかで大変美しい。関西にはたくさんあります。
と、その一生を植物の研究に捧げ、多くの植物を発見し、その名付け親になりました。
そして、植物を描いた図解が多くの人の植物理解に役立つと考え、文章によった論文だけでなく、図解を併せて多数の書物を発表しました。そしてその後年、自らが理想とした植物の参考書『牧野日本植物図鑑』(1940年)を著わします。
「徹頭徹尾実地」が植物学研究の真髄と牧野富太郎博士は語り、実地調査を積み重ね、石版印刷の技術を習い、とことんまで精密な植物図を後世に残してくれたのです。財産を失い、借金に苦しみながらも、妻壽衛(すえ)や家族、そして多くの人々の支えにより、植物の好きを貫き通したのです。
参考本:牧野富太郎(植物博士の人生図鑑 コロナブックスス
牧野富太郎(なぜ花は匂うか) 平凡社
わが植物愛の記 河出文庫
好きを生きる 興陽館