生薬の話
百草・百草丸の原料のキハダ(オウバク皮)ーその2ー
早朝の屋根に、霜が一面に降りているのを見て、冬の到来を感じています。
先月「今後は国内産キハダの確保のため、森林の生産組合との連携を図り、キハダの生育から力を注いでいきたい」というお話をしました。
11月17日、当社の石黒和佳子(代表取締役)他2名が、長野森林組合鬼無里事業所長をお訪ねし、「キハダの安定的調達のため、会社として、植林から採取まで長期的に取り組む覚悟であること」を伝え、今後のことをお願いしてまいりました。
「昔は林業が盛んだったが、今は高齢化し、山仕事に携わる人が少なくなってしまった。キハダはあると思うが、採る人がいなくなってしまった」等々、厳しい現実の話を伺いました。それでも「組合の集まりの時に、日野さんの要望を話してみましょう」とおっしゃっていただきました。
天産物である生薬を原料として製薬業を営む私共に大きな責任のあることを戒めております。今後、生産組合や各関係団体との連携を図り、継続的にキハダの育成と採取に力を注ぐことが第一歩であると思っております。
そんな矢先、長野森林組合鬼無里事業所からFAXを頂戴しました。訪問の際に、鬼無里と弊社の取引開始の経緯についてお尋ねしていたところ、早速、鬼無里森林組合の元専務理事の方及び職員の方にお聞きいただき、ご連絡いただいたものです。弊社にとりまして大変貴重な情報であり、許可をいただきご紹介します。
元専務理事の方(昭和37年入職)のお話
- 昭和37年の時点で既にキハダの取引は開始されていた。
- 上水内郡信濃町北西の国有林が払い下げとなり、キハダの木がたくさんあった。
- 鬼無里村森林組合が、払い下げを受け、国有林内のキハダを扱うようになった。
- 収穫時期には、鬼無里から5~10名が山に入っていた。
- 当組合の屋根で干していた。
- 木曽まで高速もなく、舗装もされていない時期で、日野製薬への納品時には一泊した。
- 原さんという方を覚えている。
- 小さな工場で、日野文平氏が働いていた姿を覚えている。
職員の方(昭和55年入職)のお話
- 日野製薬への納品時には、よく「かつ丼」を頂いた。
- 日野製薬との取引を知った周辺の森林組合や個人、地元の組合員がキハダを当事務所に持ち込むようになった。
そうなんです。 鬼無里森林組合からキハダを購入し始めたのは、昭和37年より以前、昭和20年後半から30年前半と思われます。早朝に、鬼無里からキハダを沢山積んだトラックが到着し、実家の2階に運び込まれておりました。 原は父の腹心の存在で、当時(昭和37年)総務担当取締役でした。
また、出張の多い父でしたが、そうでない時には製造作業もしていました。大きな鉄製の鍋でエキスを煮詰めるのですが、櫂のような「大きな木べら」でエキスが焦げ付かないように混ぜていたのを覚えています。
納品の際には「かつ丼」を、とありますが、その通りです。当時(昭和30年頃)は、取引先の人が来ると、母が実家の近くにあった生鮮食料品店の「北谷(きたや)」に駆け込んで、食材を購入し、「かつ丼」を作って、労をねぎらうのが常でした。昭和55年入職の方がこの話をされていますが、鬼無里森林組合の人には、納品後に実家にきていただき、従来と同じように、「かつ丼」を差し上げていたのだと思います。
父も母も原も皆が皆、生き生きとして仕事に邁進していました。
あれから60年余、あの当時のことを記したこのようなFAXをいただき、懐かしく嬉しく感無量です。
国内産オウバクは、有効成分のベルベリン含量だけでは推し量れない品質の良さがあります。エキスの艶や香りは外国産と明らかに違います。
国内産オウバクを用いた百草丸を、この先もずっと製造していきたいと思っています。