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生薬の話

木曽地域におけるキハダ生育調査について

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 新年明けましておめでとうございます。健やかにお正月をお迎えのことと存じます。旧年中はお世話になりましてありがとうございました。本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

    

 さて、弊社は信州木曽の地に古くから伝わる胃腸薬の百草、百草丸をはじめとする生薬製剤を製造、販売しています。これらの生薬製剤の主成分は、ミカン科の落葉高木キハダの周皮を除いた樹皮である生薬オウバクです。百草は、オウバクを乾燥・裁断し、水で煮出して煮詰めたオウバクエキスを板状にした、単味の生薬製剤です。また、百草に複数の生薬を組み合わせ製剤化したのが日野百草丸です。

 良質なキハダは良質な薬づくりに欠かすことができません。しかしながら、国内産のキハダは年々採取量が減少しています。弊社では、キハダ植樹、保育などに加え、キハダ一本から買います活動、キハダ皮むき、実の収穫等を行い、オウバクの確保に努めています。

 百草は、御嶽山の御霊薬と称された伝統薬です。その由来には諸説ありますが、かつて木曽の御嶽山麓は薬草の宝庫であり、御嶽開山の修験者がキハダの樹皮を煎じて薬とすることを村人に伝えたのが始まりといわれています。御嶽信仰の広がりとともに、御嶽登拝の信者や木曽路を行き来した旅人の土産品として、全国に普及していきました。しかしながら、現在、御嶽山麓を含む木曽地域のキハダの生育状況について、明確な情報はありません。キハダの自生に関する情報は少なく、民有地に植樹されたキハダの情報が一部存在するのみです。

 このたび、木曽地域におけるキハダの生育実態を確認するため、ドローン撮影と解析、及び実地の現場確認により調査を実施します。本調査においては、信州大学農学部「農DX・データサイエンス教育プログラム」と協業し、中部森林管理局 木曽森林管理署、ならびに木曽地域の行政機関のご支援をいただき、産官学連携体制を構築します。

調査の経緯

 御嶽山の御霊薬と称される百草なのに、木曽地域および御嶽山麓になぜキハダが見つからないのか?これは、常々疑問に思い、心を痛めてきたことでした。

 弊社では、キハダ一本から買います活動を通して、木曽地域のキハダ情報をお寄せいただく機会があります。しかし多くは、ご本人様またはその前の世代の方々が庭、畑、または所有される山林内に苗木を植樹されたものです。林業に従事される方に、山にキハダはありませんか?とお聞きしても、あまり見ないね、たまに出てくるけど、等の回答です。個人的にも御嶽山に登らせていただく時には、登山口までの車中やロープウェイの上からキハダがないか目をやりますが見かけたことがありません。

  

 そのような時に、信州大学農学部 機能分子設計学研究室 准教授 梅澤公二先生より、本年度から「農DX・データサイエンス教育プログラム」を立ち上げられるとのお話を伺いました。梅澤先生は、毎年キハダ植樹や皮むきに生徒の皆様を引率し参加してくださっています。農業・林業などにおける情報処理及びデータサイエンスの活用とそのスキル向上のための教育プログラムであり、現場でのドローン撮影・分析なども行われる予定とお聞きし、ご一緒にキハダの生育調査を行うことが決まりました。

木曽地域におけるキハダ

 では木曽地域においてキハダは生育していたのでしょうか?過去の文献や記録を紐解いてみます。

  

 江戸時代の文化7年(1810年)、尾張藩の本草学者である水谷豊文(みずたにほうぶん)は、木曽薬草の分布調査を行い、それを『木曽採薬記(きそさいやくき)』に著しています。調査は、現中津川市の湯舟沢から現木曽町や御嶽山麓も含めて行われ、キハダの分布を確認したことが記されています。

     

 また、江戸時代天保13年(1842年)の薬物書である内藤尚賢(ないとうなおたか)の『古方薬品考(こほうやくひんこう)』には、「黄蘗、本邦産唯一種のみ。大抵皮厚く深黄色にして味苦き者佳なり。薬舗、此れを美濃皮と呼ぶ。木曽山谷、信州、江州等に出ず」とあります。黄蘗とは、キハダの樹皮オウバクのことであり、木曽山谷に良質なキハダが生育していたことが記されています。

    

 一方、平成2年(1990年)に長野県衛生部薬務課より発行された『信濃の民間薬 ~くすりのルーツを探る~』)には、「木曾地方においては百数年来、キハダを採り続けているため、百草の原料として自給できたのは昭和一〇年頃までで現在はほとんどなくなり、広島、九州、北海道や中国方面(香港経由)から購入している現状である。」との記載が見られます。

   

 また少し遡りますが、昭和60年(1985年)、長野県林業指導所が記した「キハダ林造成技術」には、長野県内における天然キハダの分布が示されています。木曽は、県内で天然キハダが分布する総面積の3.1%しか占めていないことが分かります。

   

    表-1 長野県下の天然キハダ資源量より

    木曽・・・面積:9.7ha 比率:3.1% 本数:8,010本

    計(県合計)・・・面積:314.9ha 比率:100% 本数:394,818本

    54.10 県林業課調

   

同資料に「本県の場合、事業的に生産出荷している地域は北安曇、上水内、下水内等新潟県境が主体となっている。」との記載があります。弊社でも、昭和30年代には、キハダを鬼無里から仕入れていたとの記録があります。鬼無里は、当時の上水内郡鬼無里村に位置していました。

現在の生育状況に関する仮説

 上記の文献や記録から、木曽地域においては、江戸時代には天然のキハダが生育していましたが、その後、百草の製造などのため、キハダが収穫され、昭和10年頃には、天然のキハダが非常に減少していたのではないかと考えられます。昭和初期以降、木曽地域においては、カラマツなどの針葉樹の植樹が行われるようになりました。キハダは、陽樹であり陽の光を好み、沢筋など水の多い場所に生えます。針葉樹林内に自生で生長することが難しく、また、生えても間伐等の際に伐られ、資源量が減少したまま現在に至るのではないかと思われます。

 一方、今年木祖村の村内において、カラマツ・アカマツ林であった山林を皆伐した後に、天然のキハダが多く生えている場所が見つかりました。キハダの母樹が近くにあり、陽の光と水の多い場所であれば、キハダがよく生えるのが木曽地域なのではないかと思います。

調査について

 かつて薬草の宝庫と言われた木曽谷や御嶽山麓に、天然及び人工のキハダが沢山生長し、それらを百草、百草丸の製造に使用するのみならず、日本全国でキハダを必要とされる方々にお届けできるようになりたい、良質なキハダの産地となりたい、未来の世代の人たちにキハダ、それを用いた薬、染織、食などの素晴らしい文化を継承したい、というのが、私どもの夢です。このために今回の調査を行います。

  

 調査結果は、今後のキハダの植樹や保育に役立てたいと思います。また、百草の由来、歴史に関する伝承を裏付けるデータとして活用することができればと考えます。更に、木曽地域における今後の薬草・薬木の栽培、保育の振興にも寄与し、伝統産業の継承に必須にも関わらず希少になっている他樹種の生育実態の把握や、ドローンを用いた山林調査技術の発展や利活用範囲の拡大にも、将来的に活用されることを願っています。

  

 今年もキハダとともに歩んでまいります。日頃よりご支援、ご協力いただいている多くの皆様に感謝申し上げ、皆様のご健康長寿に寄与する企業であり続けられるよう、社員一同研鑽してまいります。新しい年が皆様にとって健やかで明るいものでありますようお祈りしております。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

日野製薬株式会社

代表取締役社長 石黒和佳子

出典

「信濃の民間薬 ~くすりのルーツを探る~」平成2年6月30日 長野県衛生部薬務課

「有用広葉樹造林の手引き」 平成12年増補 長野県林務部

「キハダ林造成技術」 1985 長野県林業指導所

「奈良時代から現在に至るまでの国産黄柏の歴史」 日本TCM研究所 安井廣迪先生


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