生薬の話
国内産生薬を用いた薬づくり
ケーンケーンとキジの鳴き声が本社の裏山から聞こえる季節が訪れています。今年の木曽谷は春分の日を過ぎても雪が舞い、いつまでも降るね、が挨拶となっていましたが、ようやくぽかぽかと温かい日が差すようになりました。冬の間しーんとしていた森の中から、春の訪れとともに、音が一斉に湧き出してくるような感覚を覚えます。先日、本社で初めて猿の姿を目にしました。あとは犬さえいれば鬼退治に行けるね、と社員の間で冗談を言い合う今日この頃です。
さて、先日「長野県薬草振興ネットワーク設立キックオフイベント」が行われ、出席させていただきました。長野県では、県知事による県民対話集会で、複数の県民から意見提案があったことを受け、本年2月1日に薬草の生産・販売を振興するためのネットワークを設立しました。従来は栽培の技術指導を中心としていた支援を、生産から販売までの一気通貫での支援に拡大するということです。具体的には、栽培方法の研修会や種苗提供、生産者と実需者とのマッチングや商談会、農福連携の推進、情報交換会などを行うとのご説明がありました。
日本で使用される生薬の約8割は中国で生産されています。国内産は1割程度です。しかし昨今の世界情勢の不安や、中国産生薬の価格上昇などにより、国内産生薬の需要が年々高まっています。
長野県はかつて「薬草王国」と言われるほど、薬草の生産が盛んであり、1988年の薬草の栽培戸数は5629戸、栽培面積は757ヘクタールと、全国の約20%を占めていました。しかし2021年には栽培戸数116戸、栽培面積18ヘクタールまで減少し、全国の約1~2%のみしか満たしていません。
長野県で薬用植物の生産、販売に取り組む個人・事業者が増え、出荷量が増加することは、弊社にとりましても大変有難いことです。「薬草王国」の復活は多くの方の悲願です。県内から100名を越える生産者と実需者が集まり、新たな県の産業振興の方向性、物事の始まりを感じるイベントとなりました。会場に集まられた多くの方々と意見交換をさせていただき、弊社でも出来ることに貢献していきたいと思いました。
国内産生薬を用いた薬づくり
さて、日野製薬では、国内産生薬を用いた薬づくりに力を入れています。自然の豊かな信州木曽の地において社業を営む私どもは、自然の恵みに感謝し、それを活かした薬づくりを行うことが、何よりも大切なことと考えています。弊社が製造する民間伝承薬の「百草(ひゃくそう)」は、ミカン科の落葉高木キハダの周皮を除いた樹皮である生薬オウバクのみを配合した単味の生薬製剤です。木曽の地に、古くから良質なキハダが生育していたことが、百草が現代に伝わる理由の一つと考えられます。良質な生薬原料が、良質な薬づくりにつながります。薬が生まれたその土地、その土壌で生み出された植物を、未来に亘り継続的に薬づくりに用いるため努力をすることが、私どもの責務であり、薬を伝えていただいた先人への感謝であると考えています。
しかしこのことは容易なことではありません。国内産のキハダは年々採取量が減少し、入手が困難となっています。上記の通り、薬用植物の栽培に取り組む栽培戸数、面積は大幅に減少しています。また、薬用植物は、栽培を始めたとしても、容易に育てられるものではありません。しかしだからといって手をこまねいていることはできません。キハダについても、それ以外の薬用植物についても、自ら栽培に取り組み、栽培の難しさを自ら経験し、それを克服するための対策に頭をひねり試行錯誤し、様々な方々のお力をいただきながら組んでいくことが私どもには求められていると思います。豊かな自然の恩恵を受け、木曽の地で社業を営む私どもには、どうしてもこれが社業の責務の一つだと思うのです。
日野百草丸(国内産オウバク配合)について
弊社は「日野百草丸(国内産オウバク配合)」という百草丸を製造販売しています。国内で生育した希少なキハダの樹皮、生薬オウバクのみを配合した百草丸です。私の母の時代に製造を決定し、今までつくり続けています。社内では「限定丸」の愛称で呼んでいます。国内産生薬への私どもの思いを体現してくれるような大切な製品であると考えています。
このオウバクを入手することは、本当に多くの苦労を伴います。現在は1年に1回程度しか製造することができません。古くからお取引のある原料卸問屋にお願いし、国内産オウバクを集めていただいています。また木曽の地で「キハダ一本から買います」活動を行い、村内や近隣地域の方からキハダをご提供いただいています。更に、キハダをご提供くださる方があれば、社員が山林に入りキハダの皮むきを行っています。キハダが伐倒されるのは冬が多いため、極寒の時期に社員が土場へ赴き、皮むきを行うことも毎年継続して実施しています。多くの方々にご協力をいただいて何とか必要な量を入手し、製造することができています。また未来の世代につなぐためキハダの植樹も行っています。
これらの活動を通して思うのは、自然の恵み、そして多くのご協力いただく方々への感謝です。キハダをご提供していただく方からは、キハダを長年に亘り育てた経緯、ご家族の歴史などを伺うこともあります。お一人お一人の顔と思いを心に浮かべるにつれ、貴重なものをお取り扱いさせていただいていることへの感謝の気持ち、そして私どもの手元にあるオウバクは本当に大切なものと実感します。大切なオウバクを大切なものとして、そのまま百草丸に込めなくては、そして沢山の方々のご健康長寿のお役に立てていただきたい、と強く思います。また、キハダは本当に多くの有難いご縁をもたらしてくれます。様々な方々との出会いが、私どもが前進する大きな原動力となって、今日の社業を支えてくれています。弊社の社業はキハダとともにあります。キハダとともに多くの皆様と歩むことのできる感謝を心にいつも抱き、新たな取り組みを果敢に行っていきたいと考えています。
栽培のはじまり
さて、4月といえば栽培が始まる季節です。弊社でも今年の栽培に向けた準備を行っています。
<キハダ>
今年もキハダ植樹を5月に行います。木祖小学校の5年生の子ども達との「キハダ植樹体験学習」、そして大人を中心とした「キハダ植樹」を5月半ばに予定しています。今年のキハダ植樹は県内外から多くの方々にご参加いただく予定です。皆様の思いを込めて植えていただくキハダは必ず大きく育つものと信じています。とても楽しみにしています。
<センブリ>
センブリの栽培は3年前から取り組んでいます。しかし中々うまくいきません。センブリは2年草で、種をまいてから収穫まで2年かかります。栽培中は気の遠くなるような草取り作業が必要です。また1年目にうまく育っていても、2年目に枯れ、両手に一握り程度しか収穫できない等のことを経験しています。しかしセンブリは百草丸に配合の生薬であり、継続して取り組んでいきたいと思っています。
<上記以外の薬用植物>
キハダ、センブリ以外にも栽培に取り組む予定の薬用植物があります。今から3年程前にいつも大変お世話になっている方にある生薬のこと、その栽培を試験的に取り組む若い農家の方をご紹介いただきました。ご夫妻で農薬を使わない有機栽培に懸命に取り組まれています。弊社にとって、薬用植物の栽培に共に取り組んでいただけるプロの農家の方がいらっしゃるのはとても心強いことです。今年新たに作付けから収穫、加工まで共に学び、ご一緒に行うことを大変楽しみにしています。
実需者及び生産者として
最後に、長野県薬草振興ネットワークにおいて、弊社は薬用植物を生薬として用いる製薬会社のため「実需者」ですが、一方で薬用植物の栽培を行う「生産者」でもあります。生薬製剤を製造販売する弊社にとって、実需者であり生産者でもあることは大変重要と考えています。国内産の生薬を用いた薬づくりを継続するため、自ら生産を振興していく必要があります。また植物の育つ様を知ることは、私どもの薬づくりに、何物にも代えがたい大きな学びをもたらしてくれます。
弊社では、栽培する薬用植物を、弊社の製造に用いるだけでなく、必要とされる他の方々にもいずれ供給していくことができればと考えています。また、県のネットワークを介して多くの農家の方々や山林所有者の方々とつながり、薬草振興の大きな輪を広げていくことができれば大変幸いに思います。世界の情勢が混迷を増す中、国内産の薬用植物の需要は増しています。将来に亘り安定して薬づくりを行うことのできる環境を整えるため、一事業者として出来る限りのことを行っていきたいと考えています。
4月は新年度のはじまりです。入学、入社、転勤、転居など、新たな生活や仕事を始められる方も多いと思います。弊社でも、若手社員のリーダーとしての成長、一人一人の社員が持てる力をフルに発揮し活躍することを願い、組織体制変更を予定しています。新たな希望とともに、緊張、忙しさ、ストレスなども感じる時期だと思います。皆様が明るく健やかに、この時を乗り越えられますように、もしつらい時があれば弊社の百草、百草丸や普導丸がお役に立ちますように、心からお祈りしております。
日野製薬株式会社
代表取締役社長 石黒和佳子