薬食同次元
節分と豆まき
2月に入りました。今年の節分は、明治30年(1897年)から124年ぶりに2月2日とのことです。節分は立春の前日。1年の長さが厳密に365日ではなく、365日と約6時間(365.242189日)であることが影響しているのだそうです。4年に一度うるう年があり、ずれを戻していますが、分単位ではずれが残り、2021年は立春が2月3日に訪れるのだそうです。これに伴い節分の日も2月2日になります。前回は100年以上前であったことを考えると、貴重な日のように思えてきます。
そして2月3日は立春。二十四節気の一つで春の始めを表します。寒さの厳しい木曽では春の気配はほとんど感じられませんが、全国的には、梅の花が開花し、ふきのとうの出ている地域もあるようです。ここから徐々に温かい季節に向かうと考えると、明るい気持ちとなります。春を待ちわびる気持ちがつのるのも、四季のある日本ならではのことと感じます。
さて、節分に豆まきをするのはなぜなのでしょうか?
そもそも、季節の始まりである立春、立夏、立秋、立冬の前日は、いずれも季節を分けるという意味合いで「節分」なのだそうです。しかし立春は、一年の最初の二十四節気であり、旧暦の新年とも近く、一年の始まりととらえられていたそうです。その前日の節分は、一年を締めくくる日としてより重んじられ、現在に至るとされています。
一年の締めくくりの日に、厄や災難を祓い清め、鬼を追い払い、新たな年を迎える行事として、平安時代の宮中では、「追儺(ついな・おにやらい)」が行われていたそうです。そして室町時代には、既に豆まきが行われていたという記録があります。
豆をまく由来には諸説あります。
●無病息災を願う語呂合わせ
昔、京都の鞍馬に鬼が出た時に、毘沙門天のお告げにより、鬼の目に大豆を投げたところ退治出来た、との言い伝えがあるそうです。無病息災を願い「鬼の目(魔目まめ)」に豆を投げて「魔を滅す(魔滅まめ)」ことが、現在の豆まきにつながったとの説があります。
●神農本草経に記された豆の薬効
紀元前2800年頃書かれた中国最古の薬物書「神農本草経」の中品に、生大豆について「煮飲汁殺鬼毒」との記載があります。「生の大豆の煮汁は鬼毒を追い出す」との意味とのことです。鬼毒とは、鬼のおこす病気を示し、伝染病なども含まれていたようです。
●五穀豊穣の儀式と豆
前漢時代の歴史書「史記」には、歴代皇帝が毎年、五穀豊穣の儀式で大豆の種をまいていたことが記されているそうです。
大豆が大切な穀物の一つとして扱われてきたことが分かります。
神農本草経に大豆のことが記されていたというのは大変興味深いことです。古くから養生のために用いられてきたことが分かります。
さて、1月31日は、御嶽教木曽本宮で「節分星祭」が斎行されました。今年は、三密を避け、少人数で神事のみが執り行われました。神事の終わりに井上慶山管長先生より、今年も例年とは異なる年だが、今できることに励み、本当に大事なことは何かを考え、今後に活かしていくように、とのお話がありました。這いつくばるように過ごしていきなさい、とのお言葉が心に残りました。冒頭の写真は31日に撮影した御嶽山です。初心に帰り、やるべきことを懸命に行い、明るく前向きな気持ちで過ごして参りたいと思います。
出典:大阪府立大学 学術情報レポジトリ『神農本草経』にみえる「鬼」について
※大豆ではなく小豆ですがお汁粉もおいしい季節ですね。