生薬のこと

生薬・生薬を用いた薬づくり(第18回)

今回は普導丸に配合している「センキュウ末」についてお話したいと思います。


「川芎(センキュウ): Cnidium Rhizome」

センキュウ(セリ科の植物)はCnidium officinale Maino(Umbelliferae)の根茎を湯通ししたものです。不規則な塊状をしており、ときには縦割され、長さ5~10センチ、径3~5センチで、外面は灰褐色~暗褐色で、重なり合った結節があり、その表面にこぶ状の隆起があります。セロリに近い特異な臭いで、わずかに苦い味がします。古く中国の神農本草経の上品(毒がないので長期の連用が可能)に収載され、張元素(中国金代の医者)は「センキュウは血虚頭痛を治す聖薬である」と言っています。また、李東垣(りとうえん:中国金元四大家の医者の一人)は「頭痛には必ずセンキュウを用いる」と言っています。日本には江戸時代に中国から栽培株が導入され、牧野富太郎が学名を付けました。寒気に強い植物で、薬用として使用されるほとんどが北海道を始めとする国内で栽培されています。薬理作用は鎮静、抗炎症、末梢血管拡張作用が知られ、貧血症、冷え性、月経痛に応用され、特に痛みを止める効果が強いのが特長です。主として漢方処方用薬であり、婦人薬、冷え性用薬、皮膚疾患用薬、消炎排膿薬に多く配合されています。


「センキュウと亡父との出会い」

百草・百草丸を製造する当社がなぜセンキュウ末を配合した製剤を作ろうと思ったのか、今もって定かではありませんが、亡父が「センキュウの薬効に心酔した」のがきっかけの一つであったようです。ある時、枯れそうになっていた松の木の根元にセンキュウ末を撒いたところ、みるみるうちに松の木が生き返ったのを見て、センキュウ末の威力に感激し、百草・百草丸の主成分のオウバクにセンキュウを配合した生薬製剤を作ろうと考えたようです。戦後の復興期、頭痛持ちの人が国民病といわれるほど多く、即効性のある西洋薬のノーシンがどの家にも常備薬としてありました。亡父はそれでは痛みに効果のある生薬のセンキュウを用いて気分を和らげる丸剤を製品化しようと考えたのだと思います。その証拠と思えるのが普導丸の成分・分量です。120粒中の各成分の配合量をみると、「オウバク末2g、センキュウ末1g、トウキ末0.6g、ウイキョウ末0.5g、ケイヒ末0.3g、ガジュツ末0.3g、ショウキョウ末0.2g」となっており、主成分のオウバク末は別格として、センキュウ末を他の成分の2倍以上も配合しているのです。

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「普導丸の配合生薬」

さて、普導丸の製剤化に取り組んだのは当時の薬剤師の下条周助氏です。下条周助氏は、ガジュツ末の効能に着眼しており、普導丸にも百草丸にも配合しています。トウキ末は、センキュウ末と同じく平滑筋興奮作用、子宮組織増殖促進作用、鎮痛・抗炎症作用などの薬理作用が知られおり、婦人病の聖薬とも言われ、トウキはセンキュウと同じく体力をつけてくれる薬膳スープの四物湯の構成生薬でもあります。ウイキョウ末、ショウキョウ末、ケイヒ末は、古くから薬としても食物としても用いられてきた成分で、スパイシーな香りと共に胃腸の不具合を改善する生薬です。オウバク末は胃腸薬の代表的な生薬です。

これら7種類の天然の生薬を最適な配合量で製剤化したのが普導丸です。

こうして普導丸は医薬部外品として昭和42年に承認を取得し販売を開始しました。


「普導丸という名前の由来」

江戸時代の後期の木曽御嶽開山の祖であった「普寛行者(ふかんぎょうじゃ)」の偉功にちなんで、亡父が名付けたとのことのようです。洒脱でウイットに富んだ亡父のことでしたから「弱った体を普通に導いてくれる丸剤」も当然念頭にありこの名前を付けたと私は思っています。

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「龍の図柄の普導丸パッケージ」

木曽御嶽の五つの池には水の神である「龍神様」が住んでいると言い伝えられ、普導丸は「龍神様」がもたらす薬効が宿っているとの心象により亡父が龍のパッケージデザインにしたのではないかと思います。江戸後期の浮世絵師である葛飾北斎が最晩年に何点かの龍の肉筆画を描いていますが「富士越龍図」の富士山は木曽御嶽山でもあるように映ります。龍が高い山のさらに上にある天を目指し昇る姿に思わず畏敬の念を抱いてしまいます。

普導丸はまさに「配合の妙」により生み出された丸剤です。


参考:難波恒雄富山医科薬科大学教授著「漢方・生薬の謎を探る」より