生薬の話
鳥居峠へのキハダ植樹
木曽谷は、萌黄色の新芽が山々に出て、日の光に照らされ、一層きらきらと輝き、美しい時を迎えています。皆様いかがお過ごしでしょうか。
今年もキハダ植樹の時が訪れています。キハダはミカン科の落葉高木で、周皮を除いた樹皮の生薬オウバクは、百草、百草丸の主成分です。国内産オウバクの入手は年々困難となっています。弊社では国内産オウバクを配合した百草丸の製造を継続するため、毎年5月に植樹を行っています。
今年の植樹は鳥居峠
さて、今年は5月18日に鳥居峠のふもとにキハダの植樹を行います。鳥居峠は、中山道の薮原宿と奈良井宿の間を結びます。標高1197メートルに達する山道は、中山道屈指の難所と言われていました。薮原宿の位置する木祖村は、木曽川源流の村です。鳥居峠は、太平洋へと流れる木曽川と日本海へ注ぐ信濃川の支流である奈良井川の分水嶺でもあります。
鳥居峠には御嶽神社があります。江戸方面から中山道を歩く旅人が、初めて御嶽山を拝することができる場所が鳥居峠です。御嶽神社の鳥居が建てられたのは1495年のこととされ、これが鳥居峠の名の由来と言われています。御嶽神社は御嶽遥拝所であり、御嶽山を信仰する講社の方々によって古く建立された霊神碑や神像が立ち並びます。
百草は御嶽山の御霊薬とも称され、弊社の社業は御嶽山とともにあります。また日野製薬の前身日野屋は、薮原宿で旅籠を営みながら、中山道の旅人や御嶽山登拝の方々をお迎えし、百草を販売してまいりました。
このような大切な場所にキハダを植樹させていただけることは、大変に有難いことと感じております。今年も様々な方々のご縁の巡り合わせにより、植樹地をお借りできることとなり、心より感謝しております。また、鳥居峠は最近トレッキングコースとしても人気で、国内外から多くの方々が訪れています。植樹地はまさに薮原宿側の登山道の入口に位置しています。これから登られる方を美しい森林でお迎えし、よし頑張ろう、のお気持ちで登っていただきたい、そして下って来られる方々を木々によって温かくお迎えし、ほっと一息していただき、良き思い出とともにお見送りしたい、と心から願っております。そのような森にしていく大きな責任も感じながら、今年の植樹、そしてその後の育林を行っていきたいと考えております。
(写真 左:鳥居峠登山道入り口の石畳、右:今回のキハダ植樹地)
今年からの新たな取り組み
今年の植樹では、これまでにない新たな試みも行います。「混交林の植樹」です。混交林とは、2種以上の樹種から成る山林のことです。キハダのみではなく、キハダ以外の樹種も同時に植樹し、より天然林に近い森づくりを目指していきます。
なぜ混交林を目指すのか?
混交林の植樹を目指すのには、経緯があります。弊社では古くからキハダ植樹を行っており、2021年からより大きな規模での植樹を始めました。毎年キハダの植樹を行いながらも、少しの不安を感じてまいりました。同じ土地にこんなに沢山のキハダを植えて良いのだろうか、と。これまでの植樹法では、1haあたり3000本程度、苗木同士の間隔は1.8m程度です。専門家にご指導いただいた方法であり、キハダをいずれ生薬原料として収穫するためには大変適した効率的な方法です。ある程度密に植えることで、幹が真っ直ぐ、枝分かれも少なく成長し、皮むきはその方が容易です。一方、キハダが窮屈ということはないだろうか、と感じてまいりました。また、密な間隔で植樹したキハダは、全て成長した場合、いずれ間伐(森林の成長に応じて樹木の一部を伐採し、過密となった林内密度を調整する作業)が必要となります。多くの方々のご協力をいただき一本一本丁寧に植樹をしていただき、その後大切に見守っているキハダにもかかわらず、いずれ成木になる前に、半分ほどは伐採しなくてはならないことにも心が痛みます。こんなに愛着のあるキハダにも関わらず、その時が来て伐採の対象木を本当に選べるのだろうか?と自信がありません。キハダ同士をある程度「粗」の間隔で植樹し、間にキハダより成長の遅く背の低い木を植樹できないだろうか、との考えが頭をもたげます。
また、キハダは日当たりが良く水の多い場所を好みますが、自然な環境でキハダが群生しているところはあまり見たことがありません。山林内でも沢筋などに、ある程度間隔をあけて、ぽつぽつと見つかる、というのがキハダです。それが自然な姿であるとしたら、キハダのみが近くに生育している状態は、本当にキハダにとって望ましいのか心配になります。また、キハダの足元の土や、そこで生育する微生物や動植物にも住みやすい環境なのだろうかということも心配です。
これまで天然更新の立派なキハダや、人工林でも大きく成長し、堂々と生命力にあふれる様子を目にする機会をいただいてきました。様々なキハダを拝見する中で、キハダにはのびのびと育ってほしい、より自然な環境で育てたい、収穫という現実を踏まえた場合に理想論だけでは立ち行きませんし、弊社に試行錯誤の余裕があるものではありませんが、何かできることはないものだろうか、と考えてまいりました。
このような時に、国有林の管理に従事される専門家の方にお話しを伺う機会をいただきました。同じ樹種を密に植栽し、間伐を前提とした林業の在り方は、現代において少しずつ変化しているとのお話をしていただきました。戦前から戦後の高度成長期に確立され長年に亘り歴史のある施業法は、決して否定するものではなく、先人の知恵と経験は継承すべき点が多いものの、林業人口が減少する昨今では、下刈りをなるべく減らし間伐を最小限とする植栽法や、機械化など新たな技術導入の模索が進んでいるということでした。
林業の施業法にも高度成長期の大量消費・大量廃棄を前提とした考え方が反映されてきたこと、今はその見直しの転換期にあること、また柔軟な発想や技術革新により新たな方法が検討されていることを教えていただき、大変な驚きと感銘を受けました。
また、広葉樹の様々な樹種を植栽し、天然林のような美しさを呈する伊勢神宮の森の写真も見せていただきました。より自然で、美しい森づくりを目指すこのような例もありますよ、とのお言葉に大きな力と後押しをいただいたような気持ちがしました。伊勢神宮の森には日本でも最高峰の考え方、知識・経験に基づく技術が取り込まれているものと思います。到底足下にも及ぶものではありませんが、それを高い目標として弊社もできることに取り組みたい、との思いを強くしました。
そこで、今年から混交林の植樹に取り組むことを決めたのです。
混交林とそのメリット
さて、混交林の植樹法はどのようなもので、どのようなメリットがあるのでしょうか?
【混交林の植樹法】
日本森林技術協会発行「森林技術」の【「混植」のすすめ ~混交林の可能性~】で、東北大学大学院 農学研究科 教授 清和研二氏が下記のように述べられています。
●技術・生態系機能・経済性
「混植」とは多くの樹種が混まじり合う混交林を造るための技術である。スギやヒノキ・カラマツなどの単純林造成とは対局をなす。性質の異なる複数の樹種を同所的に育て複雑な構造の林に仕立てようとする。したがって,その造成や管理には技術的課題は多い。(中略)種多様性の高い混交林は単純林より環境保全機能(生態系機能)も高くなることが推測される。難しい技術ではあるが,「混植」は極めて健全で可能性に満ちた林業技術だと言える。
●混植とは天然更新を模した造林技術である
混植してから混交林が成林するまでのプロセスは複雑だ。種子採集から苗木生産,植付け場所の選定,そして樹種の組み合わせなどの混植のデザイン設計等,どれを取っても一筋縄にはいかない。それに,混植の経験や知識は不足している。しかし,混植から成林までのプロセスや目標林型は天然林の更新過程に近いので,天然更新の仕組みを応用することが安定した混交林の創出につながるだろう。
【混交林のメリット】
また、混交林のメリットとしては下記が挙げられます。
◎生物多様性の維持
森林を生息地とする動物、植物の多様性を向上
◎森林防災力の向上
根が様々な深さで複雑に張り巡らされることで土砂災害などの発生防止
高さの異なる樹木と草本類が存在することで土砂を受け止め被害拡大防止
◎高い水源涵養機能
土壌の空隙を増加し水の浸透機能を向上
◎病虫害リスクの軽減
病気の罹患、害虫の大発生を抑制
◎美しい景観
四季を通した美しい景観を実現
ではどのように植樹するか?
今年の植樹では、キハダに加え、鳥居峠の自然環境に適した広葉樹を3~4種類選び植樹したいと考えています。また、鳥居峠をトレッキングコースとして歩く方々がいらっしゃいます。折角植樹するのであれば、皆様をお迎えする美林でありたいと思います。春は美しい花を、夏は青々とした新緑を、秋は彩り豊かな紅葉を楽しんでいただけるような樹種を選定できると良いと考え、ヤマザクラ、モミジ、エゴノキなどが候補に挙がっています。
樹種の選定や具体的な植樹方法は、改めて専門家のご指導をいただいているところです。地形や、周辺の環境を見ていただくため、植樹地の現場へご来訪いただき、ご相談させていただく予定です。混交林として植樹した場合と従来の単純林におけるキハダの生育状況の違いや、育林に必要となる施業の違いなど、植樹後に情報の収集も進めてまいります。追って本ブログでもご紹介してまいります。
(写真 左:植樹地に生えていたサクラ、右:同地のモミジ)
最後に
弊社では、木曽の豊かな自然と風土の中でキハダを大切に育て、将来の薬づくりに生かし、多くの方々の健康長寿にお役立ていただきたいとの願いを込めて、キハダの植樹を行っています。キハダは成長に約25年の歳月を要します。人間と同じくらい長い期間をかけて成長するキハダの植樹は、未来の世代にバトンを渡すことに他ならないと考えています。
現在の私たちも、先人が植えてくれたキハダの恩恵を受け、国内産オウバク配合の日野百草丸づくりを行うことができています。キハダをご提供いただく近隣の方々が「これは日野文平さん(祖父)からもらった苗木を植えて育ったキハダだよ」、「昔、日野製薬から苗木を買って植えたんだよ」、「今から何十年も前に社員の人が来て植えたものだよ」とお話してくださることがあります。これらのお話をお聴きするたびに、祖父、古く弊社に勤務していた社員、そしてそのご縁で巡り合った多くの皆様をはじめ、先人への感謝の気持ちで一杯となります。
現代の私たちも、百草、百草丸づくりに必要な量のキハダを未来の世代に残したいとの思いで植樹を実施しています。そして、それ以上に50年、100年先の世代の人たちに美しい森を残したいと願っています。木曽の豊かな自然の恵み、多くの植物や動物とともに人間が住まう郷土の里山、美しい森、肥沃な土、そしてそこから生まれる美しい水を未来に届けたい、と強く願います。これが、先人が私たちに残してくれた本当の宝物だと思うためです。毎日の薬づくりは、先人の熱い思いに触れる機会とも言えます。その私たちも、思いを未来へつなぐため、出来ることを一つずつ実行していかなくてはならないと思います。こういう思いで、こうやって植えたのか、植えてくれて良かった、と思ってもらえるような森林を未来へ残していきたいと考えています。
最後に、5月の芽吹きの季節になると、故 唐澤一寛 木祖村村長が、「俺は木曽の自然はいつどの時でもきれいだなぁ、美しいなぁと思って過ごしているが、今の芽吹きの時が一番好きだ」とおっしゃっていたことを思い出します。キハダ植樹を大変応援してくださり、ご支援してくださった唐澤前村長は昨年ご逝去されました。今年、5月18日の鳥居峠のキハダ植樹とともに、5月14日には木祖小学校の5年生の子ども達、及びもう一度小中学生プログラムに参加のご年配者とキハダ植樹体験学習を行いますが、小学生との植樹は唐澤前村長のアドバイスにより始めたものです。最後にお会いした時に、小学生との植樹は毎年必ず続けていってくれよ、とおっしゃってくださいました。このことも胸にしっかりと刻みながら、今年の植樹も頑張って行いたいと思います。多くのご支援、ご協力いただいている皆様に、心より深く感謝しております。
日野製薬株式会社
代表取締役社長 石黒和佳子
日野製薬本社キハダの木
参考文献:
長野県 【長野県の特用林産物 ーキリ、 1980 ルシ、キハダについて一 】
長野県林業指導所【キハダ林造成技術、 1985】
日本森林技術協会 森林技術 No.883 2015.10 【「混植」のすすめ ~混交林の可能性~】東北大学大学院 農学研究科 教授 清和研二氏
同【針葉樹人工林から針広混交林をめざす―広葉樹樹下植栽による混交林化】兵庫県立農林水産技術総合センター 森林林業技術センター 藤堂千景氏
奈良県 【混交林誘導整備について】
森林総合研究所 第3期中期計画成果集 【針葉樹人工林の混交林・広葉樹林化を成功させる】 森林植生研究領域 佐藤 保氏、酒井 武氏、正木 隆氏、平田 晶子氏、東北支所 野口 麻穂子氏
写真:
いずれも鳥居峠の植樹地周辺で2024年4月に撮影(本社キハダの木除く)