生薬の話
六根清浄の具現
暑い毎日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。木曽も夏真っ盛り、濃く深い緑の上に入道雲が立ち昇り、木曽川の清流が美しく輝いています。
御嶽山の夏山シーズンも本格的に始まり、多くの方々がお山にお見えになっています。弊社の御嶽山麓の直営店である王滝店、里宮店にも、沢山のお客様がお越しくださっています。5年ぶりに来たよ、楽しみに来た、というお客様もいらっしゃり、社員一同、弾むような気持ちで懸命にお客様をお迎えしています。夏山が賑やかだとうれしくなる、というのは、弊社社員のDNAに組み込まれた感覚のようです。日野製薬の前身「日野屋」は、中山道薮原宿で旅籠を営み、木曽・御嶽山へ来られる方々をお迎えしてまいりました。お客様がお越しになることがうれしく、また木曽にいらっしゃる時をご無事に過ごし、お喜びいただきたい、と思う気持ちは、古くはその時代から連綿と続く弊社の精神であると思います。これを継続していくことが、弊社の社業の根幹にあると考えています。
さて、先日、弊社の昭和50年代の会社案内のパンフレットを読んでいたところ、創業者の日野文平が書いたご挨拶の文章がありました。
ごあいさつ
「六根清浄」これが弊社の創業以来の目標であり、これに到達すべく、社員一同、日夜努力を重ねてまいりました。永い歴史の中で、皆様に変わらぬご愛顧を戴けるのもこの精神があればこそと深く銘しておるところです。
百草は御嶽山に産まれ、御嶽大神の信仰と共に広く世に伝わったものであり、まさに「六根清浄」を具現する力を備えているものであります。
生薬の宝庫と言われる信州の木曽にあって、この百草は山野に自生する多くの薬草の中でも最も傑出した黄柏を原料に精製され、現代の科学の時代にあっても遜色なく他の薬品に互しております。
この効能を更に一層の研鑽により向上させることを図り「六根清浄」の具現に努力いたす所存でございますので尚一層のご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
代表取締役社長 日野文平
六根清浄とは、【欲や迷いを断ち切って、心身が清らかになること。「六根」は私欲や煩悩、迷いを引き起こす目・耳・鼻・舌・身・意の六つの器官をいう。「清浄」は煩悩や私欲から遠ざかり、清らかで汚れがない境地。略して「六根浄」ともいう。(出典:三省堂 新明解四字熟語辞典)】とされています。
亡き祖父である日野文平は、他に書き残した文章においても「六根清浄」について述べています。今回会社案内を読み、はっとした気持ちとなりました。「六根清浄」は創業以来の目標であるとのこと、祖父はどのようなことを考えて、日々の仕事に向き合い、社業を営んでいたのか、深く考えさせられます。
百草の由来には、諸説ありますが、御嶽山開山・開闢の修験者の方が村人に製法を伝えたのが始まりとの言い伝えがあります。ではなぜ百草を私どもが与えられたのか、については、常に考えを巡らせ、百草とともに与えられた役割を果たさなくてはならない、またその感謝の気持ちを忘れてはならない、と常々考えているところであります。その役割を真の意味でとらえ実行に移すこと、漫然と考えるのみならず日々の業務において少しずつでも実現すること、それがまさに「六根清浄の具現」なのだと気づかされ、何か雷に打たれたような心持ちとなりました。
では祖父が目標としていた「六根清浄」とは何であったのか?今の私が、その全容を理解できているとは到底思えません。真っ直ぐな心で素直であれ、は小さな子どもの頃から祖父に教わったことの一つです。また自らの行いを通して社会に奉仕することは、常に祖父の行動規範であったと思います。その根底にあった「六根清浄」について、今の私には、自らを律し、欲をかくな、人のために生きよ、と言われているように感じます。しかし恐らくそれだけではないものと思います。今後、社業を通し、継続的に考え、自分なりの解を導き出しながら歩んでいかなくてはならないと思います。
子どもの頃、夏山へ登拝される御嶽講の行者の方々が、「六根清浄、御山快晴」「登らせたまえ、引き寄せたまえ」と大きな声で唱えながら登られていたことが、脳裏に焼き付いています。今もまさに夏山のその時を迎え、祖父の書いた文章への出会いを通し、弊社の社業の目的を考える機会をいただきました。今の時代を生き、日野製薬の社業のバトンを持って走る私どもも「六根清浄」について考え、その具現を目指し、日々精進してまいりたいと思います。そしてその精神を未来の世代へバトンとしてつないでいくことが、私どもの仕事であると考えます。
日野製薬株式会社 代表取締役社長 石黒和佳子
【写真】2023年7月30日撮影。1枚目:田の原より御嶽山、2枚目:七合目 三笠山より臨む雲海