縁(えにし)

2012年5月

今年は不順な気候が続き、5月に入っても例年より寒い日があるためか、5月中旬になっても、山々の木々は芽吹いていないように見えます。さすがに里は、「目に青葉、山ホトトギス、初鰹」の言葉どおりに、目に鮮やかな新緑でおおわれているので、すがすがしい気分になります。

さて、不思議な縁で一里塚のことを詳しく知ることが出来るようになりました。一昨年に新宿から松本に向かう列車でたまたま同席された諏訪の方が、一里塚のことを研究している赤井静夫氏の案内で一里塚跡を巡りながら私の住まいのある奈良井に行ったことがあると話されました。この方に赤井氏を紹介いただき、お会いして一里塚のことを教えていただきました。赤井氏は土木関係の専門家で、全国の一里塚跡を訪れて、写真を撮り、自分で測量して図面をかき、土木の貴重な文化遺産としての一里塚に関する研究論文をまとめておられました。この論文をいただき、一里塚のことを学習することができました。

江戸時代に主要な街道の一里(3.93km)毎の道の両側に一里塚を建設しました。一里毎の距離の目安であり里程と呼ばれました。一里塚は直径五間(約9メートル)、高さ十五尺(約4.5メートル)の饅頭型の土盛りをし、夫々の塚の上に榎(えのき)・松・杉等の木を植えたものです。()

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一里塚は街道文化の貴重な土木遺産ですが、道路の拡張工事や鉄道建設などの折に破壊されたり、災害で崩れたこともあり、現存するものは少なくなっています。

江戸時代に五街道のひとつであった中山道の、馬籠宿の「是より北木曽路」の石碑から、桜沢の「是より南木曽路」の石碑までの木曽路の間に十一の宿場と二十二箇所の一里塚がありました。

昨年、木曽地域の文化遺産の保全に関心のある方々に集まっていただき、協議をした結果、一理塚の復元は所有者の了解が必要であることと莫大な費用が掛かかり無理なので、一里塚の機能の一つである目印機能の復元のために、一里塚跡の近辺にある自然石を使った石碑を設置することにしました。昨年度は、何も標識がなく所在地がわからなくなっている五箇所の一里塚跡(鳥居峠、吉田、下在郷、金知屋、大妻籠)に石碑を設置することにしました。

子供たちが文化遺産に対する関心を持つように、石碑に刻む銘文「地名、一里塚跡」を、各地域の小中学生に書いてもらいました。夏休みに書道展を行い、審査員の先生に各地区の最優秀、2位、3位の作品を選んでいただき、表彰しました。その後、日を改めて審査員の先生に書道指導をしていただき磨きがかけられた最優秀作品を石碑に刻み、裏面に制作者(最優秀作品の子供)の名前と協力者(準作品の子供)の名前を裏面に刻みました。何百年にわたって銘文と名前が残るので、子供たちには良い記念となったと思います。

 

昨年10月26日に設置しましたが、寒くなったので除幕式を行っていなかった鳥居峠一里塚跡で4月28日に除幕式を行いました。鳥居峠は中山道の難所のひとつで、峠越えの旅人が宿泊したので奈良井千軒と言われるほど奈良井宿は栄えたようです。その奈良井から鳥居峠遊歩道を登って一里塚跡に向かいました。遊歩道として整備されているので、難所であったとは思えないほど歩きやすい道です。最初は上り坂が続くので足が重く感じられましたが、しばらく芽吹き始めた木々の中を歩いていくと、足が軽くなってきました。時折鶯(うぐいす)の鳴き声が聞こえました。

少し早足で歩いたためか、予定より早く一里塚跡に着いたので、誰も来ていませんでした。一里塚があったといわれるあたりには、土が饅頭型に盛られた跡もないので、石碑がない限りは一里塚があったとは知る由もない場所です。一里塚跡から二百メートルほど上った所に鳥居峠があります。しばらくして、制作者の巾崎さんとお母さん、中学校の校長先生、楢川支所長、地元の協力者が集まったので、丁度通りかかった三名の観光客にも参加していただき、除幕式を行いました。制服姿の巾崎さんは大変うれしそうでした。

このように子供たちも参加する楽しい事業活動とすることができ、大変良かったと思っています。

今年度も五箇所の一里塚跡(若神子、押込、橋戸、宮ノ越、出尻)に石碑を設置する予定です。

 

 

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