縁(えにし)

2010年6月

今年は四月に入っても雪が降ったり、零下数度の日の翌日に十数度に上がるというように寒暖の差が激しく、過ごしにくい日々が続きましたが、五月に入ってからは、天気もよく暖かい日が続いています。
山岳信仰の対象となる条件の一つに「山容そのものが秀麗であり、周囲から目につき易い高山である」があります。御嶽山は、標高三千六十七メートルの高い山で、遠くから目にすることができ、その秀麗な山容から、信仰の山として古くから崇拝されてきました。
最近、木曽地域をリュックを背負って、徒歩で回っている観光客をよく見かけます。ここでは御嶽信仰にゆかりがあり、徒歩で回るのに適した場所をいくつかご紹介します。
 木曽は山間に集落があるので、御嶽山麓の地域を除くと、御嶽山が見える場所は限られています。木曽に入る街道からはじめて御嶽山を眺めることができる、東西南北の四箇所に、鳥居のある遥拝所が作られ、御嶽四門と呼ばれました。創設年代は鎌倉時代に遡るといわれています。御嶽四門は、鳥居峠(北、涅槃(ねはん)門)、岩郷村(いわごうむら)神戸(ごうど)(東、発心門)、長嶺峠(ながみねとうげ)(西、菩提門)、三浦山中の拝殿山(はいでんやま)南、修行門にありました。
鳥居峠は江戸時代の五街道の一つの中山道沿いの奈良井宿と薮原宿の間にあり、現在も遥拝所が残っています。石造りの門は明治八年に再建され、拝殿は大正五年に再建されたものです。ここには地元ばかりでなく、関東、信越の諸講社の信者が建立した石碑・石像が沢山あります。奈良井宿は江戸時代の宿場の面影が残っているので、国の街並み保存地区に指定されており、海外でも一生の間に行ってみたい場所の一つとしてあげられてる観光地です。鳥居峠を越えて行く道は、昔は中山道の難所の一つでしたが、今は自然遊歩道として整備されていて歩きやすく、二時間程度の手ごろな歩行距離なので、この自然歩道を歩くウォーキング愛好者がたくさんいます。
岐阜方面から、馬籠宿、妻籠宿を通り、山間の中山道を歩いてきて、御嶽山を遠望できるのは、岩郷村神戸(現在の木曽町神戸)にある遥拝所(東、発心門)です。上松町を通り過ぎて国道十九号を北上し、木曽の桟を過ぎ坂道を登りきったあたりの右手に遥拝所の標識があり、旧街道に入る道を行くと左手に遥拝所の石段が見えます。あるいは、木曽町福島から国道十九号線を南下する場合は、御嶽山麓に向かう道を分かれる元橋交差点を、ほんの数十メートル過ぎた左手に、JR線の下をくぐる道があり、この道を進むと右手に遥拝所の石段が見えてきます。石段を登ると、文政四年七月に普寛行者の弟子の金剛院順明によって建て替えられた石造の鳥居があります。遥拝所のあたりの道は木立の中にあり、往時の中山道の雰囲気が残っています。この遥拝所と御嶽山を結ぶ線上の国道十九号沿いに「木曽市場」という道の駅が四月に開設されました。木曽市場から御嶽山を遥拝でき、木曽川の対岸に御嶽教の木曽本宮が平成二十四年に造営されるので、木曽市場を平成の遥拝所と言ってよいかもしれません。
飛騨街道(現在の国道三六一号線)から木曽路に入る長嶺峠の遥拝所(西、菩提門)は、現存していないのと、歩道がないので、歩くのに適していません。
裏木曽から木曽に入る三浦山中の拝殿山に遥拝所(南、修行門)があったが、旧加子母村の村誌によると、いつかわからないが焼失したとあります。加子母から木曽越峠-渡合-滝越を通り木曽に抜ける道は鎌倉時代に開け、江戸時代には御嶽登山道として盛んに利用されたようです。
一昨年から、御嶽山の山麓・山中・頂上周辺に残る史跡の由来や伝承を知ってもらい、後世に残すために「御嶽山三十八史跡巡り」の仕組み作りと普及活動を行ってきました。黒沢口の千本松のあたりで車道から左手に入った六合目に向かう山道沿いに、第十番目の史跡の三笠山と第十一番目の史跡の白川大神があります。山道には倒木があり、坂道に階段がなく、雨が降ると滑りやすく危険なので、「御嶽山三十八史跡巡り」活動の一環として、今年の六月にこの山道を修復する予定です。修復後はウォーキングに最適な山道になりますので、是非訪れていただきたいと存じます。


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