木曽の便り

広山行者の掛け軸

広山行者掛け軸.JPG例年、埼玉県にある御嶽神社(田島一心講)の山田國光宮司と信徒の方々は8月17日に黒澤口からが御嶽山に登拝し、19日に帰る途中で弊社王滝店に立ち寄っていただいています。埼玉県の御嶽神社は普寛行者が修業された場所であり、普寛行者直筆の掛け軸(さいたま市の文化財)があります。

今日、王滝店に立ち寄られたときに山田先生から大変貴重な掛け軸を見せていただきました。
昨年は一心行者直筆の掛け軸を拝見させていただきましたが、今日持参された掛け軸には、大先達明岳院の署名があります。明岳院広山(俗名和田孫八)は普寛行者の直弟子の一人で、普寛行者の第一回の御嶽山登拝に同行した行者です。落款には広山の文字が見えました。昨年拝見した一心行者の掛け軸を入手された脇先達の鈴木栄治先生が、インターネットのオークションで入手したそうです。一心行者の掛け軸のときと同じように鈴木先生のお子さんが熱を出したり、鈴木先生が17日に掛け軸を持って登拝したときに、背中に気配を感じ、登るのが苦しくなってきたので、九合目の石室で御嶽神社(田島一心講)に奉納されたというお話でした。その時に山田先生が九字をきったところ、指先がしびれてきたので、本物であることがわかったということです。

御嶽信仰の歴史を示す貴重な資料や品々が御嶽講社の衰退とともに、埋没したり、流失することがあると聞いていますが、普寛行者と直弟子の一心行者、広山行者の三行者の直筆の掛け軸が、普寛行者ゆかりの御嶽神社(田島一心講)に集まったことになります。誠に信仰の不思議な力を感じます。

以下の体験談が若先生の山田光臣先生から寄せられたので掲載します。

御嶽山登拝での不思議な体験
 私は毎年、御嶽山夏山登拝で色々な不思議な体験をする。

 今年は下山中の事である。大江大権現の御宮が近付いてきたとき、木々が生い茂る右側から何らかの気配を感じた。その気配はずっと私の右側から離れない。私が止まるとその気配も止まる。歩き出すと気配も進みだす。おかしく思ったが、気にせず歩いた。大江大権現の御宮が見えた時、その気配もとたんに消えた。なんだったのだろうか? 大江大権現に着いてお参りをし、左側の御宮、八大龍王もお参りをし、二礼二拍手一礼をして頭を上げたとき、大江大権現の御宮から「光臣」と女性の声が聞こえた。ん?なぜ女性の声なのだ?と思い御祭神が書かれている表を見た。大江大権現の御祭神は「伊邪那美命」だったのである。伊邪那美命は女神であったため、女性の声であったのだ。空耳でなく本当に神様が私を呼んでくださったのだと確信した。
 もう一つ。去年、田の原高原に到着した後に三笠山も登拝していたので今年も登拝しようと登った。三笠山は相変わらず幻想的な登山道だった。登っている最中に三笠山刀利天宮、長崎大明神の御宮があり、お参りをして頭を下げた。御宮の中の御神像と目が合った。その御神像は「天狗」だった。その時に何故か背筋がゾッとなり、足早に頂上を目指した。無事に頂上へ着き参拝し下山し始めた。その時である。後ろから何か羽ばたく音が聞こえた。羽ばたく音量から推測すると、カラス並みの大きな羽を持った鳥だと思った。しかし、振り返ると鳥はいなく木々も揺れていなかった。気のせいかと思い歩き続けた。その後にも何度か同じ音がしたが、気にせず下った。その時突然、人が両足で地面に着地する音が聞こえた。振り返るが誰もいなかった。その音が聞こえた所は、天狗の御神像がある御宮の近くで起きた。その御宮を過ぎてからは、何もおきなくなり無事下山した。その不思議な出来事は、きっと天狗の仕業だったのではないかと感じた。

 去年は鈴木栄治さんが御嶽神社に奉納した「一心霊神」の巻物で不思議な事が起きた。
 私は一心霊神の巻物を背負い登拝した。登っている途中から巻物を閉まってある木箱からカタカタと音が鳴り始めた。このままでは巻物が破れてしまううと思い、八合目女人堂でしまい直そうと木箱を開けた。しかし、カタカタと音が鳴る様な隙間が全くなかった。逆に言えば、木箱がギュウギュウに納まっていたので音が鳴るのはおかしいと思ったが、そのまま巻物を背負い登った。それからも、木箱からカタカタと音が鳴り続けた。鳴り続けたまま頂上に登拝し下山し始めた。王滝頂上付近から、鳴り続く音と共に後ろから何者かに見られている気配がした。振り返るがもちろん誰もいるわけがない。下山とともにその気配も薄れていった。この出来事は、一心霊神の御霊(みたま)が残る巻物が久々の登拝を喜んでの木箱の音と、御嶽山が名残惜しさでの気配だったのではないかと私は思う。

 いつの登拝か忘れたが、台風が近付いて頂上にいけなかった時の不思議な出来事である。
 御嶽山登拝の二日目朝、滝旅館でのお勤めの時、父が祝詞をあげ始めると、私の耳には犬の遠吠えが聞こえた。その声はずっと聞こえた。祝詞が終わると吠える声は消えた。何処かに飼い犬が居て、動物は不思議な力に敏感なので、父の力により吠えたのだろうと思った。しかし、滝旅館の周りには飼い犬はいないと従業員が言っていた。
ではあの吠える声はなんだったのであろうか。今でもあの犬が何を伝えたかったのかがわからない。

 私は毎年不思議なことに遭遇するが、年々その不思議な事のスケールが大きくなってきている。不思議な事が起きても何故か恐怖心はなかった。これが「御神徳」なのかと感じることがある。

木曽御嶽山と共に。

御嶽神社(田島一心講)
山田 光臣(24歳) 奉湃



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