木曽の便り
普寛行者の掛け軸
御嶽山は江戸時代後期まで75日間あるいは100日間の精進潔斎した道者だけが登山できる神聖な山でした。普寛行者は寛政四年(1792)に御嶽山王滝口を開削して、水行の軽精進だけで登れるように解放しました。その後、江戸を中心に関東一帯に広く御嶽信仰を広めました。
さいたま市の田島にある御嶽神社には市指定有形文化財「紙本淡彩普寛行者画像」の掛け軸があります。痛みがひどくなってきたので修復作業が行われ、鮮明な画像になったので、辞世の歌と名前がはっきりと読み取れるようになりました。辞世の歌は「なきがらは いつくの里に 埋むとも 心御嶽に 有明の月」です。これが死後霊魂が御嶽山に戻るという霊神信仰のもとになりました。
埼玉県には田島御嶽神社以外に普寛行者ゆかりの地があります。普寛行者生誕の地である秩父市大滝には御嶽山普寛神社があり、普寛行者が入寂した本庄市には普寛霊場があり、普寛行者の足跡をたどることができます。