木曽の便り

山丸三マーク

Yamamrsa.jpg(山丸三マーク)

御嶽山に登拝に来る先達・信者の行衣や笠に左の写真のマークがついているのを見かけることがあります。私たちはこれを「山丸三マーク」と呼んでいます。このマークの由来や意味を知っている人は少ないと思います。

普寛行者供養塔 花戸.JPG普寛行者は御嶽山王滝口を開闢し、御嶽信仰の普及に大きな足跡を残しました。御嶽山麓の王滝村花戸にある普寛堂には嘉永元年(1848)の普寛行者の五十年忌に江戸の高砂講によって建立された普寛行者供養塔(右の写真)があります。この台座に山丸三マークが刻まれています。普寛行者の生誕の地の埼玉県秩父市大滝にある御嶽普寛神社、入寂の地の本庄市にある普寛霊場のいずれも山丸三マークをシンボルマークとして使用しています。以上のことからこのマークは普寛行者にゆかりのマークであると推察できます。

第14代普寛霊場主 柴崎正雄先生に伺ったところ、「このマークは普寛行者が考案されたもので、入山は御嶽山の印であり、丸は宇宙を表す。三本線の真ん中の線は宇宙の根本仏である胎蔵界・大日如来、上の線は不動明王、下の線は摩利支天を意味する。大日如来は御嶽山座王権現三十八座の中の日の権現であり、その分身が不動明王であり、摩利支天である」と説明されました。(注.日の権現は少彦名命を主神とする7座を習合し、御来光を拝し、伊勢神宮を遥拝する現在の王滝口頂上付近に祀られていた)

御嶽信仰にゆかりのマークとして長らく使用されてきています。ところが、この公のマークをある企業が薬剤などの商標として登録し、私物化するという事態が約10年間続きました。このたび、法廷において当社の主張が認められ、混同を避けるという条件以外に全く自由に使えることで和解しました。

この係争の中で普寛行者のご加護としか思えない様々な不思議な現象がありました。このお蔭で公のものとする和解にこぎつけられたものと感謝しています。公のものとなるように取り戻したことを普寛行者は喜んでおられると存じます。