伝承薬「百草」は、下痢を伴う胃腸の様々な症状を改善します。主成分のベルベリンには抗菌作用があるため、昔は、風邪、赤痢、皮膚病、切り傷、筋肉痛、結膜炎、口内炎などの薬として幅広く利用され「万病に効く腹薬」として愛用されてきました。
百草は、ミカン科のキハダの内皮を乾燥させたオウバクを水で煮出し煮詰めた板状の乾燥エキスから作られた単味の生薬製剤です。
添加物を一切加えない、シンプルな製法で作られています、
キハダは縄文人の居住跡から樹皮が発見されたことから、考古学上、日本最古の生薬と言われており、古くから民間伝承薬として利用されてきました。また中国最古の薬物書「神農本草経」にも収載された漢方の要薬です。
日野製薬の代表的な製品である百草の由来には、地元の言い伝えで諸説あります。
御嶽山の修験者と関わりが深く、「百草」を「ダラスケ」と言う人もいました。
百草の名前の由来は、中国古代の医薬の帝王・神農氏が「百草(百種類の草)を嘗めてその薬効を試した」という故事から引用し、「百の病に効果がある」または「百種類の薬草を合わせた物ほどの効果がある」ことから名付けられたといわれています。
長野県と岐阜県との県境にまたがる木曽御嶽は、その壮麗な姿で、古くから人々の信仰を集めてきました。江戸時代後期まで、厳しい精進潔斎をした修験者だけが登拝を許されていましたが、覚明行者と普寛行者の尽力により、誰もが登拝できる山に解放されました。御嶽信仰が全国に広まり、参拝に来た人たちが道中薬あるいはお土産として持ち帰り、「信州の腹薬」として全国に普及しました。
「だらすけは 腹よりもまず 顔にきき」
「良薬は口に苦し」。だらすけ(百草)を口に入れた時の顔の表情を表した天保時代(1844-1872)の川柳です。だらすけ(百草)が人々の間に広く普及していたことを物語っています。
木曽路の文豪に島崎藤村が思い浮かびますが、その藤村の童話「ふるさと」には こんな一節があります。
御嶽山の方から帰る人たちは、お百草という薬をよく土産に持ってきました。
藤村記念館HPより
お百草は、あの高い山で取れるいろいろな草の根から製した練薬で、それを竹の皮の上に延べてあるのです。
苦い薬でしたが、おなかの痛いときなどにそれを飲むとすぐなほりました。
お薬はあんな高いやまの中にも蔵ってあるのですね。
日野製薬の前身は、木曽薮原宿の「日野屋」という旅籠でした。
普寛行者の高弟や後継の行者の直筆の掛け軸などが残っていることから、御嶽登拝の行き帰りに宿泊したことがわかります。
「日野屋」は御嶽信仰とつながりのある百草を土産物として販売したのをきっかけに、やがて製薬会社となります。
製薬会社となってからは、伝統の百草に新しい技術を付け加えることで、「百草丸」、「百草錠」等を生み出し続け、今日に至ります。
「百草」は日野製薬を語るうえで欠かせない製品です。