縁(えにし)

2013年10月

 富士山が世界遺産委登録されたためか、今年は御嶽の登山客が多いようです。8月に御嶽山麓の弊社直営店にいたときに、お客様から「王滝口七合目の駐車場が自家用車で一杯になっている。こんなことは初めてだ」という話をよく聞きました。
 御嶽は標高3,067メートルの剣が峰と外輪山からなり、その雄大な山容から古くは王嶽(おうだけ)すなわち王の御嶽(みたけ)と尊称され、それがいつしか御嶽(おんたけ)と呼ばれるようになりました。岐阜、愛知、三重からも遠望することができる御嶽は、古くから人々の崇拝を受けるとともに、修験者の修行の場であり、七十五日間ないしは百日間の精進潔斎を経た道者(どうじゃ)だけが登拝できたようです。
 江戸時代に、五街道などの道路が整備され、旅行が容易になると、伊勢参りなど信仰の旅が盛んになり、御嶽も一般の人が登拝できるようにしてほしいという要望がでてくるようになりました。天明五年(1785)に、尾張の覚明行者が村人たちや尾張の信者と登拝し、水行の軽精進だけで登拝できるように開山し、登山道の改修もしました。江戸の普寛行者は寛政四年(1792)に新たに王滝口登山道を開削しました。この二人の行者の働きによって、御嶽は一般の人が登山できるようになりました。しだいに各地に講社が結成され、御嶽登拝に来る人が増えてきました。
 昭和の終わりごろの信者が百万人いると言われたころには、登山口から剣ヶ峰頂上まで登拝する信者で一杯になり、剣ヶ峰頂上の奥社にお参りするために、待ち行列ができたそうです。剣ヶ峰頂上は詰めれば二百人位の人が参拝できる広さがありますが、一杯になったということは、いかにたくさんの人が登拝したかがわかると思います。
 御嶽は三千メートル以上の高山にしては登りやすい山です。これは、二百年以上にわたる登山道改修の積み重ねの結果であると思います。森林限界までの登山道には、歩きやすいように枕木を置いて段差をつけ、森林限界から上は石を使って段差を付けたり、枕木で段差を付けて歩きやすくしています。このように整備された登山道も、冬の間に積もった雪や雨水で傷む箇所があるので、平成十九年から夏山登山が始まる前の七月初旬に黒沢口と王滝口の登山道整備を百人以上のボランティアで実施しています。私は毎年黒沢口の登山道整備に参加しています。昨年から木曽町にある林業大学の一年生二十名と先生に参加いただくようになり、若い力でたまった土砂を取り除き、水路を作って雨水を流すようにしています。枕木の緩んだ楔を打ち込んだり、ゆるんだ石を取り除くか、動かないように補強したり、ロープを張り替えたりして頂上まで行きます。両登山口から約四十名の人が頂上まで行き、山小屋で一緒に食事をした後に、八十余段の石段を登って頂上奥社に参拝します。昨年から二礼二拍手一礼などの参拝の作法について、御嶽教の青年部の先生に説明していただくようにしました。柏手の音の響きを良くする方法なども教えるので、作法を知らない人にとっては、良い体験になったと思います。
 御嶽には歴史的に由緒ある史跡が数多く残っています。

  • 鎌倉・室町時代の領主木曽氏や江戸時代の尾張藩主とその家臣の山村代官の厚い崇拝を受けて寄進された建造物・絵馬・絵画など
  • 御嶽神社、御嶽講社によって建造された霊場
  • 水行の滝(自然の滝、御嶽講社が作った人造の滝)
  • 神秘的な霊域

 御嶽講社の霊場に「死後霊魂は御嶽に還り大神のお側にお仕えし、子孫のために行をする」という信者の願いにより建立された二万基以上の霊神碑があるのも、他の山岳信仰にはない特徴です。
 各史跡には石碑を設置し、「御嶽山三十八史跡巡り」の朱印帳で、各史跡の説明をしてあります。
歩きやすい登山道を登っていく途中で、史跡を見たり、高山植物の可憐な花や雷鳥の姿を見ることができます。晴れた日には山頂から乗鞍岳や木曽駒ケ岳などの北アルプス、中央アルプス、南アルプスの峰々のみならず、遠く富士山、浅間山や濃尾平野、伊勢湾までも望むことができます。
 このように魅力ある御嶽は、長野県の「山岳高原を活かした世界水準の滞在型観光地づくり」の三つの重点支援地区の一つに選定されました。

たくさんの人が魅力ある御嶽を是非訪れてほしいと願っています。