縁(えにし)
2021年11月
今年は十月に入っても暖かい日が続いているので、秋らしい紅葉が始まっていませんが、山々は日ごとに色づいています。
新型コロナウイルスの緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置は、九月三十日をもって全都道府県で解除されました。さらにテレビで奈良井宿の魅力を放映する番組があったので、十月に入ってから全国から奈良井宿を訪れる観光客が増えてきました。奈良井宿の歴史と魅力について紹介します。
江戸時代に江戸と京都をつなぐ中山道六十九次のほぼ半ばに位置し江戸から数えて三十四次目の宿場でした。奈良井宿から京都方面に向かう道の途中に鳥居峠という難所があったので奈良井宿に宿泊する人が多く「奈良井千軒」といわれるほどの大きな宿場町となりました。
奈良井宿は古い建物が残っている町並みで、昭和五十三年五月三十一日に文化財保護法に定められている「重要伝統的建造物群保存地区制度」の保存地区に選定されました。選定を受けた後に奈良井宿の表通りにあった電柱を通りから見えない裏側に移動しました。
奈良井宿の北端(奈良井駅の近く)に江戸時代の建物が残っている八幡神社があります。本殿の裏側に二百地蔵があり、昔の中山道であったところに杉並木があります。奈良井宿の表通りには六か所の水場があります。水場の水は山から湧き出た沢水で、水道がなかったころには宿場で生活するすべての人たちの飲み水などに使われてきました。奈良井宿の中町には本陣がありましたが、残念ながら本陣の建物は残っていません。本陣を通り過ぎてしばらく行くと上問屋があります。明治天皇が木曽を巡幸されたときに休憩所となり、上段の間で昼食をとられました。今は資料館として公開されています。
奈良井宿には下町から上町にかけて、専念寺(浄土真宗)、法然寺(浄土宗)、大宝寺(臨済宗)、長泉寺(曹洞宗)、浄龍寺(浄土真宗)の五つのお寺があります。宿場が栄えるようになってから住むようになった人々が亡くなった時の法要と、旅の途中で病気になって亡くなった方々の法要のために宗派の異なる五つの寺ができたと想定されます。
中町から上町に向かうところで軍事的な防衛のために道が折れ曲がっています。ここを「鍵の手」と呼びます。上町に江戸時代の終わりころに奈良井の土産品として塗り櫛を売って栄えた問屋中村屋があり、奈良井宿の建物の中でも一番古い形を残しています。奈良井宿に残っている古い建物は一階より二階が少し前に出ている「出梁造(だしばりつく)り」で出来ていて、江戸時代の後期(天保~弘化年間(一八三〇~一八四七)に建てられたものです。
上町の家並みが尽きたところに高札場と鎮神社があります。高札場には江戸時代に幕府や藩が定めた決まりや宿場の荷物輸送代金などが掲げられていました。鎮神社の本殿は江戸時代の寛文四年(一六六四)に建てられた建物です。
次に弊社が製造販売している「百草」についての童話の紹介をします。
中山道木曽路十一宿の中の馬籠宿で生まれた文豪島崎藤村(一八七二~一九四三)がふるさとの話(七〇話)を書いた童話「ふるさと」(大正九年)の中に百草を紹介した話があります。「御嶽山の方から帰る人達は、お百草という薬をよく土産に持って来ました。お百草は、あの高い山で採れるいろいろな草の根から製した練薬で、それを竹の皮の上に延べてあるのです。苦い薬でしたが、お腹の痛い時などにそれを飲むとすぐなほりました。お薬はあんな高い山の中にも蔵ってあるのですね。」
(「ふるさと」二二 お百草)
このように歴史があり愛用され続けている百草を多くの方々に服用していただきたく思っています。
日野製薬株式会社
会長 井原 正登