縁(えにし)

2007年10月

 私が子供の頃、十月は紅葉の季節であったと記憶していますが、近年は紅葉の始まりが遅くなったようです。特に今年は暖かい日が続いているためか、十月中旬というのに、ようやく少し色づいてきた程度です。

 今年は七月に御嶽山の登山道整備と頂上開山祭、九月に頂上閉山祭と三回登頂しました。「木曽丸ごと夢作り活動」の一つとして御嶽山の登山道整備を呼びかけたところ、地元の人を中心に御嶽信仰の方々なども加わり、百十四名が王滝口七合目から剣が峰頂上、黒沢口七合目から剣が峰頂上と八合目から三の池まで整備作業をしました。スコップで土砂を取り除いて雨水が流れるようにしたり、枕木を支える鉄の楔が緩んできているところをハンマーで叩いたり、山道をふさいでいた倒木をチェーンソウで切って取り除いたり、ロープ張りをしました。八十人が頂上に登り、健闘をたたえて祝杯をあげました。木曽在住の若い人が多数参加して熱心に作業をしていたのを見て、心強く思いました。来年以降も登山道整備を実施する予定です。
 木曽には街道文化、信仰文化、木の文化、水の文化の四つの文化があります。
 江戸時代の五街道の一つの中山道沿いの集落は旅人への宿泊・休憩、食事、土産物、医者、寺などのサービス提供を通して、あるいは旅人から学ぶことにより独自の街道文化を生み育ててきました。旅人には参勤交代の大名行列、伊勢参り・御嶽参りなどの講や物見遊山客、仕事・用事のある人、芭蕉などの文化人がいました。数十人から数千人の大名行列は宿場にとって大きな収益源であったと思います。近畿から以西の約百四十の藩のうちどの藩が中山道を通り、どのように分宿したのだろうかとか興味がつきません。数人から数百人の御嶽講は宿場にとって重要なお客であり、講の名前が書かれた布製や板製のお招きが宿の軒先に掲げられたのが一つの風物となっていました。木曽十一宿のうち奈良井宿、妻籠宿、馬籠宿には江戸時代の宿場の面影のある家並みが残っています。
 江戸時代の後期に御嶽山の黒沢口を覚明行者、王滝口を普寛行者がそれぞれ開いたことにより、一般の人が御嶽山に登拝できるようになり、先達に率いられた信徒による御嶽参りが盛んになりました。行場、霊神碑、お座立てなど御嶽信仰特有の文化が発達しましたが、十月四日のNHKテレビの「週間 日本の名峰」シリーズの「祈りの山」の中で、その一端を窺うことができる内容が放映されました。弊社の季刊誌「やまみち」は今年百号を迎えましたが、その御嶽山特集の中で、御嶽信仰文化の一部を紹介していますので、ご興味ある方はご覧下さい。
 木曽はまさしく山の中にありますが、山々の木々や流れ出た水とともに発達した文化については、機会を改めてご紹介いたします。
 今後も地域貢献活動として、地域の文化遺産を守り、認知度を上げ、木曽のブランド力向上に力を注いでいく所存です。

代表取締役 井原正登


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