日野製薬の前身「日野屋」は御嶽山のふもと、中山道の十一宿の藪原宿、現在の木祖村薮原で旅籠を営んでいました。
このころ、御嶽山の登山道が開通し、多くの人々が御嶽山参りに訪れるようになりました。
「百草」は、御嶽信仰と共に全国に普及した民間伝承薬です。
この年、明治政府が、地域や家ごとに伝わる薬を売薬として製造することを許可しました。
同時に百草が「百草膏」として許可申請されます。このことが「木曽の百草」というブランドを確立しました。
明治四十四年(1911)以降、日野屋は旅籠から転業し、百草の販売を家業としてはじめました。
この年、日野屋十代及び十一代当主の日野文平は「日野製薬合名会社」を設立しました。
木祖村薮原に本社を置き、百草・百草丸、奇応丸の製造を本格的に開始します。
今後も、自然の恵みである生薬を使った薬作りを通し、「健康長寿に寄与する良質の製品とサービスの提供」と「社業を通じての社会への奉仕」の実践をしていきます。