日野製薬の環境・地域社会への取組みの様子、長野県木曽御嶽山麓の地域情報、出来事など。

その他雑記の最近の記事

9月30日(金)に大学時代のクラス会が大手町のトップオブザスクェア宴でありました。今年は日にちの設定が悪かったのか、例年よりも少ない参加者でした。

右の写真でマイクを持っている友人は、インターネットで公開されている東日本大震災のデータから、実際に起こっていたことの推論を組み立ててメールで友人たちに送ってきますが、その分析力には感心させられます。料理と酒に舌鼓を打ちながら大震災の話や近況などを話して楽しいひと時を過ごすことができました。

10月1日(土)に練馬文化センターで2代目松原操(故霧島昇、松原操(ミスコロンビア)の3女)のリサイタルがありました。「懐かしき昭和を歌う」というテーマで戦前から戦後の数々の名曲を軽妙な語り口で紹介し、素晴らしい声量と歌唱力で歌いつづけました。共演者もすばらしく楽しいひと時を過ごすことができました。

昨日は台風で大変な一日でした。

夕方6時半から虎ノ門にある株式会社シグマクシスのナレッジ広場で代表取締役会長倉重英樹さんの講演『知識社会における組織運営』があるので、上京しました。いつもは午後に出発しても十分間に合いますが、中央自動車道が通行止めになるかもしれないと考え、木曽を11時ころに出て東京に向かいました。東京の自宅で休憩してから少し早めに出ましたが、雨が激しく降り風も強かったので、タクシーに乗るときにズボンがぐっしょり濡れました。

株式会社シグマクシスの入口の受付で手続きをして中に入ると、上の写真のように投影された緑であふれた通路になっていました。一番乗りで時間があったので、オフィスの中を見学しました。下の左の写真が講演会の会場で大きなスクリーンとひな壇のような椅子席です。スクリーンの後ろが真ん中の写真のような広場で、社員の方々が休憩したり、思索したりする場所のようです。広場の片隅に、右の写真の絵が飾られていましたが、パートナーの作品で、倉重さんによると誰でもこのような作品を作る能力があるということでした。このように倉重さんの斬新な設計のオフィスにはいつも圧倒されます。

DVC00006.JPGのサムネール画像DVC00003.JPGのサムネール画像

台風の影響で電車がストップし参加者が予定より少なかったですが、中止とならずに倉重さんの講演が行われました。倉重さんはプライスウォーターハウス、日本テレコムなどで素晴らしい業績を上げた経営者ですが、現在のような環境においてどのような経営が必要かについての講演は素晴らしく、大変参考になるとともに、大いに反省させられました。講演された内容を咀嚼し、今後の会社の経営に役立てたいと決意しました。

seminar 110910 1.jpg9月10日(土)に危険学プロジェクトと実際の設計研究会共催の東日本大震災に関する講演会があり、参加しました。

麻布十番駅から歩いて六本木ヒルズの森タワービルに行きましたが、裏から入ったため講演会の場所がわからず、捜し歩いているうちに時間が過ぎ、会場に行くとすでに主催者の畑村先生のあいさつが始まっていました。約140名近い参加者で、最後部の席に 坐ることができました。

最初に、大槌町の自衛消防団員 鈴木亨氏による 「実際の大津波体験と後世へ伝えたい教訓」の話しがあり、3月11日に体験したことを動画の映像や写真を使って説明しましたが、痛ましい状況がよくわかり、過去の言い伝えを信じたり、防災設備への過信が被害を大きくしたこと、今後防災教育が重要であるという話が印象に残りました。

続いて、群馬大学大学院教授 片田敏孝氏による「東日本大震災にみる命の分岐点~命を守る主体的姿勢を与えた釜石市津波防災教育に学ぶ~」の講演がありました。陸地の大学の教授が海辺の都市へ行って大人を集めて防災に関する講演会をしてもなかなか受け入れられなかった苦労話に続いて、小中学生に対する「姿勢の防災教育(避難の3原則、①想定にとらわれるな、②最善を尽くせ、③率先避難者たれ)」を徹底させるまでの苦心の経緯の説明がありました。この結果、地震が発生した時に子供たちが防災教育で指導された通りに自発的に率先避難行動を起こし、子供たちの行動に引き連れられて助かった大人もいたようです。

片田先生の話を聞いて二宮尊徳の「積小為大」という言葉を思い出しました。長年積み重ねた防災教育によって、子供たちの命を救うという素晴らしい結果を生み出したことになります。

最後に東日本大震災の事故調査検証委員長の畑村先生の話がありましたが、立場上、立ち入った話はありませんでした。実際に現地へ行って調査をしていることによる影響か、3月に先生の話を聞いた時と若干変わったところもあるように感じました。

講演会の後、近くのレストランでの20数名の懇親会にも参加しました。 

二ノ方先生講演会1.JPG9月1日(木)に友人の東京工業大学原子炉工学研究所の二ノ方壽教授の講演会が学士会館でありました。少し早めに会場に行ったら、会議室前のロビーに与謝野前大臣が座っていたのでびっくりしました。別な会議室で政治家の勉強会があり、その来賓だったようです。

二ノ方教授は日本原子力学会の事故分析分科会や米国原子力学会の事故調査特別委員会の一員であり、大震災後に起こっていることについての話をしてくれることになっていたので、約120名の聴衆で会場はいっぱいでした。6時半から会食があり、三鷹寮の同期の仲間がいるテーブルで二ノ方教授と少し歓談をしながら食事をしました。

二ノ方先生講演会2.JPG7時ごろから講演が始まりました。原子力発電の仕組みや原子炉の構造などの基本的な話の後で、起こった事象について専門家はいつの時点でどのように判断していたかや、問題点及び今後取り組むべきことなどについて約2時間にわたって熱のこもった説明がありました。興味深い内容なので時間がたつのを忘れるほどでした。具体的な内容については、間違いがあるといけないので記述は控えます。

2次会には二ノ方教授を含む約10名が参加して、飲んだ勢いもあって、質問だけでなく、各自が感じたことや熱心のこもった話し合いがありました。

8月22日(月)に東京に出張しましたが、日中の用事が終わった後、学士会館で催されたサマーコンサートを聴きに行きました。開演の五分前に会場に行くと既に観客がいっぱいでした。

第一部は東京芸術大学の佐野靖教授の解説とピアノ演奏のもとに、参加者全員で故郷や四季の唱歌を歌いました。佐野教授の軽妙でユーモア溢れる各曲の解説と歌い方の指導の下に、和やかに懐かしい唱歌の斉唱をすることができました。

第2部は東京芸術大学出身の若手による日本の歌と世界の名曲のコンサートでした。最初に声楽家の佐藤容子氏と布施雅也氏によるオペラ椿姫から「乾杯の歌」の二重唱で幕を開けました。続いて佐藤容子氏が荒城の月等の唱歌とオペラ「ジャンニ・スキッキ」より「私のお父さん」の独唱をしましたが、声量豊かな素晴らしい歌唱力にうっとりと聞き惚れました。続いてピアニストの前田拓郎氏によるリストの「愛の夢 第三番」と「ハンガリー狂詩曲 第二番」の見事な指使いの素晴らしい演奏がありました。前田氏は、独奏だけでなく、歌唱の演奏もされておられました。続いて布施正也氏による宵待ち草などの大正時代の唱歌と武満徹氏の唱歌、「オーソレミオ」の素晴らしい独唱がありました。最後に佐藤氏と布施氏のエンディング二重唱「Time to say Goodbye」がありました。そのあと観客全員に二人の声楽家も加わって故郷の斉唱をして閉演となりました。

あっという間に二時間のコンサートが終わったという感じで、素晴らしい歌声とピアノ演奏に堪能した一夜でした。

畑村夫妻 古希祝い.jpg昨日、旭硝子の石村社長が発起人となり、畑村洋太郎先生の古希祝いがありました。卒業後も先生と付き合いの深い23人が集まって、先生との思い出などを語りながら、楽しいひと時を過ごしました。畑村先生は東日本大震災の事故調査・検証委員会の委員長として大変忙しい日々を送っているので、突然の延期をあり得るということでした。実際に、調査で福島に行っていて、戻りの新幹線にぎりぎり間に合って、6時半の開始直前に会場に着きました。

先生は100年後にも評価される内容で報告書をまとめるとおっしゃっているので、楽しみにしています。

ジャズ 司会110619.jpg友人の高谷さんに誘いを受けて、山王日枝神社近くにある歌楽歌良屋で開かれたミュージシャンの親睦団体「楽友会」のパーティーに参加しました。右の写真でマイクを持って挨拶をしているのが楽友会の会長でドラムスの原田イサムさんです。

受付を済ませて中に入ったところ、大変広い会場で、すでに何人かの方が座っていました。同窓会の雰囲気で、中の良い人達はグループとなって座っていて、話をしたり、挨拶を交わしていました。

しばらくして、飲み物や食べ物がテーブルに運ばれ、原田会長の挨拶の後で、出席者の演奏家が次から次へと入れ替わって、ジャズの演奏や歌を披露されました。

左の写真は84歳のピアニストの演奏で82歳の歌手の方が歌っているという場面です。年を感じさせない素晴らしい演奏と素晴らしい歌唱力でした。この会では50、60歳代は若手扱いのようです。同席された日本音楽家協会専務理事の瀬川昌久氏に出演者の説明をしていただきました。中には通産省の局長であった方や大学の先生がおられ、歌声を披露されました。長年培った演奏や歌唱の腕前をリラックスした様子で披露されたので、どなたも大変素晴らしい演奏と歌唱力で、高齢者となっても一度身につけた技能は衰えを知らないと感心をするとともに、元気づけられました。

ジャズ演奏.JPG高谷さんはドラムスで、この会の理事ですが、ピアノ、電子ギター、サキソフォンの若手(?)の奏者の方々と演奏されました。右の写真は高谷さんが撮ったものです、掲載の許可をいただきました。

高谷さんのおかげで大変素晴らしい会に参加することができました。高谷さんに感謝です。

天授庵 1117_2010.JPG11月16,17日の2日間京都に行ってきました。右の写真(天授庵本堂前庭)のように京都は紅葉の見ごろを迎えていました。

16日に志ネットワーク代表の上甲晃氏に招待されて松下 真々庵を訪れました。上甲氏は松下政経塾が設立された時の副塾頭(塾頭は松下幸之助氏)で、現在は青年塾を開き、若者たちが志を持って行動できるように育成に力を注いでおられます。全国に1000人以上の門下生がいるということで、その熱意には感服いたします。

真々庵は松下幸之助氏が昭和36年(1961)に社長を退き、会長に就任したのを機にPHP活動を再開するために求めた別邸です。現在はパナソニックが所有し、迎賓館として使用されています。

上甲氏と待ち合わせをしたホテルから歩いて真々庵に向かいました。受付で記帳した後で、真々庵の樋野支配人に案内していただき、建物の中に入ると赤く色付いたもみじと緑の木々が織りなす素晴らしい庭が一望できました。東山を借景にし、庭の真ん中に琵琶湖疏水から引き入れた池があります。この庭は7代目小川治兵衛が明治42年(1909)に造園したものですが、幸之助氏は自らの感性と哲学をもとに川崎幸次郎氏と改造した庭園です。

庭園に降りて歩いてみて幸之助氏の感性と哲学に触れたような気がしました。歩道は固く敷き詰められた白砂で覆われています。見学者が回って戻ってくる間に、わからないように足跡を均しているとのことです。歩道にも歩道以外にも雑草は一切なく、落ち葉も掃き清めた後に落ちた葉が数葉あるくらいでした。木々の間は一面の苔で覆われていました。苔もいろいろ種類があるようで、冬は、伊那食品の塚越会長が集めて提供された赤松の葉で覆って保護しているとのことです。庭の一角に茶室がありました。その向かいに伊勢神宮の内宮を模した根源社と呼ばれる社があり、「宇宙の根源」は幸之助氏の哲学の根底をなすものです。この社から見る庭は趣を一変し、社とスギの木立と白砂で覆われた、神々しい風景の庭園です。

この後、茶室で抹茶のおもてなしを受けました。最初は楽茶碗で一服しました。茶道の心得が不足していたなと反省させられたひと時です。幸之助氏は日に5,6回お茶を飲みながら、思索をされていたようです。

最後に、地下室にある人間国宝の作品が飾れれている展示室を案内していただきました。樋野支配人は各人間国宝の方々に直接会って、心根や技法の工夫について学ばれたということで、各作品と製作者について懇切に説明していただき、鑑賞しただけではわからない価値についての理解を深めることができました。

幸之助氏亡き後も、庭園の維持とおもてなしの心にあふれた応対を続けておられるパナソニックの社員の方々の志の高さにも感動いたしました。

このような素晴らしい機会を与えていただいた上甲氏と書物などではうかがい知れない幸之助氏の日常の様子や哲学の説明を懇切にしていただいた樋野支配人に厚く感謝申し上げます。

舛添代議士

100512_1936595月12日に大学時代の寮の定例懇親会があったので、上京しました。この会は2,3カ月に1回開かれますが、通常は50名位の参加者です。今回は講演者が時の人である参議院議員の舛添要一代議士であったので、約130名の参加者があり、奥さんやお子さん同伴の人もいました。司会者の紹介によると、舛添さんは私の2年後輩になるので、寮生活を共にしたことはなかったようです。(注.この寮には教養課程の2年間しか在寮できない)

会場に着くと、すでにたくさんの人が来ていて、報道陣のカメラの放列がありました。

講演の中で舛添さんは、現在の日本が幕末以上に困難な状況にあり、国力が衰えているので、戦略的発想を持った政治家がリーダシップを取って国難を克服する必要があること、政治家の質が劣化しているので選挙制度の見直しが必要なこと、自民党を離党した経緯など、非常に明快に分かりやすく説明してくれました。自民党を離党した経緯については、マスコミで報道している経緯とは異なっていました。私はマスコミの見識や質が低下しているように思います。色々と毀誉褒貶がありますが、首相になって、日本のかじ取りをしてほしい人物であると感じました。

講演会の後の懇親会にも参加されて、沢山の先輩、同期生、後輩から質問や励ましの言葉等が次から次へとかけられ、さすがに話題の人で人気があるなと感じました。私も、舛添さんが厚生労働大臣の時に公布施行された医薬品の通信販売規制について打開策があるかという質問をしましたが、うまくかわされてしまいました。

中村会

先日中村会の賀詞交歓会が日比谷の松本楼であったので、出席いたしました。中村会は弁護士の中村先生が顧問をされている会社やその紹介者の集まりですが、多士済々の方々と歓談できるので、出席するのを楽しみにしています。1985年に第1回の集まりがあってから今回が101回目の会合です。中村先生のお人柄によって、このように長く続く会になったものと思います。

この会では講演会がありますが、企業人や学者の講演だけでなく、各界の講師による講演は内容が充実しているので、大変勉強になります。数年前に先の財務大臣の民主党藤井裕久代議士が講演され、その後の懇親会にも参加されたので、お話をすることができました。今回は講談師の神田陽子氏の講談がありました。扇子の使い道や弟子時代の苦労話などで会場を和ませた後で、迫力のある語り口で講談をされ、最後に踊りを披露されました。以前、木祖村で陽子氏の姉妹弟子の神田紫氏の講談を聴いたことがありますが、やはり一流になるとそれぞれの個性がでるので、面白いと感じました。

日比谷の松本楼で福田元首相と中国の胡錦濤国家主席が会食されたことがあります。それは、小坂社長の奥様の祖父の梅屋庄吉氏が中国の革命家孫文を親身になって支援したことが背景にあります。孫文は辛亥革命で清朝を倒し、中華民国を建国したことで知られていますが、中国にはその功績をたたえ、孫文の号「中山」の名前がついた公園、街路、記念館が多数あります。
松本楼の常務取締役の小坂文乃氏(梅屋庄吉氏の曾孫)が「革命をプロデュースした日本人」を講談社から出版され、梅屋庄吉氏の遺言で長らく眠っていた豊富な資料を元に、このあたりの史実を歴史小説としてまとめておられます。当日小坂文乃氏が署名された書籍を購入し、少し読み始めました。

この松本楼での懇親会の食事も楽しみの一つです。

アーカイブ

  • フィード 購読する